シアトル再訪

28日から6月2日までシアトルに行ってきました。一年ぶりの再訪で、ワシントン大学のみなさんにも再会。今年の客員研究者には川村湊さんが行かれていて、その川村さんを囲んで31日に「文学とコロニアリズム」をめぐるシンポジウムを行ないました。順に金井景子「わたしたちはチッソであったー『苦海浄土』に描かれたチッソ株式会社」、紅野謙介「内田吐夢と『大菩薩峠』」、川村湊「日本近代文学と東アジア」、ダビンダー・ボウミク「The Other Within Chinen Seishin`s “The Human Pavilion”」、テッド・マック「Texual Identity : Discourses of Texual Interrelation」という5本の報告。4時間びっしりやって、そのあと大学院生ふくめ、みんなでビール。たった一年前のことですが、なつかしい気もするし、逆にそのまま連続してつづいているような錯覚にも陥りました。

「はしか」休講

5/16〜26のあいだ、はしかの流行により大学が休講になりました。創価大学から始まって、上智大学、日大文理と来たわけです。さる事情からGWがめちゃくちゃ忙しいことになり、おまけに13日からは家族に入院したものも出たものだから、落ち着かない日々を過ごしていたこちらにとっては不幸中の幸いでしたが、学生はお気の毒。とりわけ教育実習に行く直前の学生たちは対応におおわらわだったのではないでしょうか。はしかは伝染病だからしかたないんだけど、病名が病名だから同情されにくいし、どこか滑稽感が漂ってしまう。忘れられない4年目になるのではないかな。ともあれ気をつけて頑張ってほしいものです。
しかし、これによって前期の授業はボロボロです。5/28〜6/3は当初から海外出張の予定だったので、3週連続の休講となります。補講を考えると頭が痛い。ぼくの授業再開は、6/4以降のこととなります。

「バベル」

このあいだようやく映画「バベル」を見た。鳴り物入りの宣伝期間が長かったので、どうかなあという危惧もあったし、ミクシィなどの書き込みでは観客の反応がいまひとつ。でも、意外によかったですよ。沢木耕太郎が「朝日新聞」で人物が類型的で、イニャリトゥ監督も自国のメキシコを描くといいが、異なる国を描いたモロッコや日本では違和感が目立つ、内面性を感じさせるのは菊池凛子のみと書いてました。そうかなぁ。この視点は異国の文化を理解できる、この監督はまだそこに至っていないという目線にあるけど、ほんとに理解できるのかしら。誤解したり、錯覚したりというループから逃れられないという点から見ると、日本の描き方の違和感はそれほど気にならなかった。たしかにモロッコにハンティングに行く日本人がそうたくさんいるとも思えないし、麻布署管内なのにウォーターフロントの高層マンションというのも地理的に解せないけど、そういうことはたいがいの映画にもあるし、たいしたことではない。内面的ということでも、ここに出てくる人物たちはいずれも強くその内面を意識させる。その内面が検索可能になっているなかで、菊池凛子の演じる女子高生はより強い不透明な塊を感じさせるようになっている。そこがいいんじゃないかな。

弟猫の変貌

猫のハッピーが死んではやくも一ヶ月。あっという間に時はたっていく。遺骨は居間においてある。次第に一日のなかでハッピーのことを思い出す時間は減っているのだけれど、ときどき弟猫のQ太郎をまちがえて、「ハッピー!」と呼んでしまう。人間だったらいたく傷つくだろうなと思い、注意するのだが、ふとしたときに口をついてしまう。ゴメンネといいながら、Qの頭をなでる。
でも、この弟猫も一匹だけになってから変化があった。血のつながりはないけれど、先住のお兄ちゃん猫にくっついてうっとおしいほどチョッカイを出し、人とはなかなかコミュニケーションをとらなかった。お客さんが来ても、相手をするのはハッピー。Qは押入れに隠れたり、ソファの下にもぐりこんだり、人嫌いの風があった。それがこのところ違う。しつこいほど、こちらに慣れ親しみ、そばにぴったり寄りそう、顔をなする、鼻をすりよせる。こちらもハッピーがいなくなった分、この猫に手をかけるようになった。そうこうするうちに表情が豊かになっていった。それに応じてこちらの顔もゆるむ。猫と人も関係性のなかで生きてるんだとつくづく思う。
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詩人のオーラ

下高井戸シネマのドキュメンタリー映画祭がこの日で終了。大トリになったのは、詩人の吉増剛造さんが奄美や沖などの島々を旅するすがたを追った伊藤憲監督の「島ノ唄」でした。飯田さんからぜひ来てねと言われていたので、土曜日の夜8時半にシモタカにかけつける。以前、近代文学館の「声のライブラリー」という朗読会でお目にかかったことのある吉増さんが見えていて、ちょっとご挨拶。この日も150人ほどの観客席はほぼうまり、補助椅子も出ていました。座った席の近辺で聞こえた女性たちの会話−−「今回はさぁ、なかなか来れなくて。でも『エドワード・サイード』は見たわ」「『サイード』も良かったけど、わたしは『ディア・ピョンヤン』見て、もう大泣きだったわ」「ああ、あれ見たかったの〜、残念」。うーん、やはりシモタカはレベルが高いわ。
上映の前に伊藤監督と吉増さんがスピーチ。とりわけ吉増さんはつい最近亡くなった島尾ミホさん(この映画にも出ている)について語ったのだが、その話しぶりがだんだんだんだんふつうの言葉から離陸して、非日常の扉に耳をおしあてて向こうの声を聞いているかのように感じられてくる。150人の観衆はただ圧倒されている。そうか、詩人ってこういう存在だったのか。そんなつぶやきが聞こえてきそうでした。
それにしてもこの映画祭もずいぶん回数をかぞえた。もはや4月のシモタカ名物のひとつになってのではないでしょうか。観衆もリピーターが大半だったように思います。主催者飯田さんのたゆまぬ努力と持続力に拍手!

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