私小説の冒険

IMG_0696亡くなられた秋山駿さんが勝又浩さんと監修し、私小説研究会が編集した「コレクション私小説の冒険」というシリーズが始まった(勉誠出版から)。『苦役列車』の作家西村賢太の推薦が帯についている。鈴木登美さんがかつて『語られた自己―日本近代の私小説言説』(邦訳、岩波書店、2001年)で明らかにしたように、「私小説」は小説のサブジャンルではない。それは日本の近代文学を取り巻く限定的な条件のもとで生まれた作者と読者との黙契から成る特殊形態なのだが、しかし、歴史的に積み重ねられることによって独自な洗練と複雑化をとげてきた。いったんその契約のなかに入れば、これはこれでかなり奥行きも面白さもある。このシリーズはアンソロジーのかたちでその全貌を探ろうということらしい。最近、西村賢太がむりやり再評価して復活した藤沢清造をはじめ、吉野せい、古木鐵太郎、小山清などが収められている。なかでも詩人の山之口貘の小説が入っているのが注目。つづいて今月には二巻目も出ている。

広瀬さんのこと

この週末に関西大学で日本近代文学会の秋季大会があった。
このところ発表者も多いし、学会イベントしては成功だと思う。今回は関西支部との共催だったが、その支部長は大橋毅彦さん。いま関西学院大に勤めているが、むかし同人雑誌『媒』をやっていた大学院の時からの仲間である。
その大会2日目に出かけるとき、阪急電車に乗っていて、連れが「あ、淀川キリスト教病院!」と声を上げた。崇禅寺駅のすぐそば、窓のすぐ前に淀川キリスト教病院と書かれた建物が過ぎていく。ふとその名前をめぐる記憶がよみがえって、広瀬朱実さんのことを思い出した。彼女は大学院の一年後輩だったが、急性黒肉腫で若くして亡くなった。その彼女が余命いくばくとなって入院したのが、この淀川キリスト教病院のホスピス棟だった。連れは、亡くなる数日前、病室にいる彼女と電話で話をし、ここのホスピス棟に入ることができてよかったと聞いた。名古屋大で、一度は古典文学で修士課程を出た。それでも近代文学への関心が収まらず、東京へ出て、早稲田の大学院に入り直した。だから実際は年上である。二葉亭を研究すると言っていた。名古屋のイントネーションの残る言葉で、好きな作家はだれだと問いつめたら、恥ずかしそうにマヤコフスキーだと語った。いったん話し出すととまらなくなり、学年は上でも年下のわれわれの言動を姉さん風に笑う人だった。私生活については何も語らず、いつも微笑んでいる人だったが、語るに値しない相手と思われていたのかもしれない。ようやく大阪の女子大に就職して、大学人になったところで皮膚癌になり、あっという間に全身に広がったのである。残された論文は、同僚の明里さんが『明治文学と私』(右文書院、1997年)にまとめられた。大学院時代だから、ほんの数年、肩をならべた友人にすぎないのだけれど、ここで再会するとはねぇ。「まだ、あいかわらず研究やっとるんね」という声が聞こえたような気がした。

天皇と水俣病

明仁さん、美智子さんのご夫婦が水俣を訪ねて、緒方さんたちに会われたという。異例の返礼のことばが紹介されていたが、「真実に生きることができる社会をみんなで作っていきたい」というこのことばの響き自体は確かにそのとおりだと思う。でも、水俣病の発生から半世紀以上である。ぼくも大学生のときに、土本典昭さんの「不知火海」の上映運動を手伝っていたことを思い出す。胎児性患者さんたちはほぼぼくの年代と同じ年齢である。こうした天皇のことば以外、これまで政治家は響く言葉を発することはなかった。このあいだの水俣条約のときだって、環境相は直前になって出席を決める始末だし、歴代総理だって水俣に来て、患者に響くことばを発することはほとんどなかった。天皇はぼくらが選んだ人ではない。そのことの惨めさをぼくらは胸に刻むべきだと思う。同時にこのことばで終わりにするわけにもいかない。首相は水俣病を克服したとビデオで語り、患者たちの反発をかったという。克服したという過去形で語れるものはまだない。そもそも全地域住民の医学的なチェックをしないで、これまで来たのである。そして未認定のままの人々がいる。「真実に生きることができる社会をみんなで作っていきたい」。願望を込めたこのことばのまともさと、まったく現実においてそうなっていない空疎さには、ぼくらの生きる社会の複雑な核心が凝縮されている。

大波小波

IMG_0687『東京新聞』10月24日(とっているのは静岡版なので、正式な日付は前日の夕刊かな)の「大波小波」欄で、『物語岩波書店百年史1』をとりあげてくれました(「文庫派」という署名)。十重田さん、中島さんそれぞれの岩波茂雄伝と一緒です。たいへんありがたいことなんだけど、「闘う出版人」としての岩波に光をあてたという趣旨。で、「紅野本は、大学アカデミズムと微妙な距離をおいた「教養」の形成を茂雄の個人史と重ねる」と紹介されている。うーん、ちょっと違うんだけどなあ。それは3章ぐらいまでで、岩波茂雄という出版人がいかに文学に暗かったか、その岩波から広まった「教養主義」の書き手たちの問題点にふれながら、芸術本の話や本造りの方にいくのが後半戦。労働争議のことも、家族主義的経営を主張していた岩波の死角につながるので、必ずしも「闘う出版人」というほめ言葉には収まっていないのです。まあ、これは岩波茂雄伝ではなく出版社の「百年史」の一冊だということもあるのですが。うれしいけれど、そんなふうに読めてしまうのかとみずからの技量についていささか複雑な気持ち。でも、ともあれ、ありがたいことです。

「楽隊のうさぎ」

中沢けいさんの「楽隊のうさぎ」が映画化された。ひょんなことから試写で見たばかりで、公開はまだこれから。監督は鈴木卓爾。「私は猫ストーカー」で目を瞠り、「ゲゲゲの女房」でひきこまれた監督なので、大いに期待していたら、これがまた予想以上の素晴らしくいい映画になっていた。浜松の中学校を舞台にした吹奏楽部の話。そういうと、上野樹里の出た「スウィングガールズ」(これはまずまずの映画)とか、昨今人気の有村架純が出ていた「リトル・マエストラ」(これは残念な映画)とかが思い出されるのだが、断然、この「楽隊のうさぎ」がはるかに映画として優れている。
ほとんど有名な役者は出ていない。わずかに浜松出身の鈴木砂羽が主人公の母親、井浦新が父親、徳井優が近所の魚屋、宮崎将が吹奏楽部の顧問。宮崎将をのぞくと、たぶん1日か2日で撮影したのかと思うぐらい。ところが、中学生の子役たちがいい。もちろんそれぞれプロを目ざしているのだろうけど、実に自然にふるまい、そのように演出している。無口で感情を表に出せない男の子が、中学に入ったばかりで、とまどいながら通っている日々。ふと座敷わらしのようなうさぎの幻にひかれて吹奏楽部に入り、そのなかで少しずつ変化していく様子が2年という時間をかけて描かれる。大きな事件も出来事も起きない。年一回の定期演奏会が晴れの場になるが、そこで優勝を競うわけでもない。しかし、そうした節目を越えていくことが部活に集まった彼ら、彼女らの変化を告げていく。大人たちはだれも弱々しく、決定的な力を持っていない。子どもたちもびっくりするほど楽器にうまくなるわけでもなく、実際、演奏家になろうとするぐらいうまいフルート担当の女の子は部をやめてしまう。いじめっ子がいつのまにか孤立して不登校になっていく過程も淡々と描かれる。何もないような日常。しかし、男の子はティンパニーに夢中になり、ときが過ぎていく。緑の木々がまぶしく、やがてそれも散り、また桜が咲く。去るものがあり、また再会するものがある。こうした時間の描き方自体がとても気持ちよく、そして美しかった。これから公開だと思うが、ぜひご覧いただいて、雰囲気を味わってほしい。
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