30年前、小樽に連れられてきたとき、誰が一緒だったか。小笠原克さんを団長に大型バスを組んでの団体旅行であった。小笠原克さん、神谷忠孝さんはいうまでもなく主催者側、参加した旅行者にはいまは亡き保昌正夫さん、高山亮二さん、紅野敏郎らがいて、まだ若き中堅だった栗坪良樹さん、曾根博義さん、日高昭二さん、今村忠純さん、竹内清己さん、野坂幸弘さんらがいらしたのではないか。たしか成城につとめたばかりぐらいの小森陽一さんらもいたはずだ。北海道・東北支部の研究集会では、兵藤正之助、高野斗志美など批評家のすがたを見ることができた。ぼくにとっては高校教師としてつとめながら夏休みにフィールドワークのできる稀有の機会であった。
その小樽を朝、出発。高速バスで1時間ばかり。札幌について、小樽との懸隔に愕然とする。大正後半まで札幌をしのぐ人口を擁したのが小樽であるが、いまやその高揚はなく、観光地としての期待だけが強く感じられる。小樽郊外に出ると、車窓から遠く観覧車付きの巨大な商業施設が見えた。大型スーパーとして開店し、市内の小売店の大半を衰退させ、バブル崩壊と共にスーパー自体も撤退した。あとは何も残らない巨大な軍艦島である。
札幌で東郷さんらと別れ、真駒内近郊にある小笠原さんの眠るお寺へ。雪深い北海道ではそれぞれの家の菩提寺のほかに、札幌近郊に分けて納骨する習慣があるのだと神谷さんからうかがった。曹洞宗のお寺でお参りをさせてもらい、長きにわたる無沙汰のお詫びと近況などを報告する。地下鉄南北線では自衛隊の基地が駅になっていたり、いやおうなく日本の現実を目の当たりにするのだが、終着駅の周辺、反対の山側では窓枠に区切られて、憂いにみちた秋の景色のみが目に入る。色とりどりの葉が木々と地表をおおい、その合間にまばらにはえた白樺の幹が白く映える。雨の気配を漂わせてかすかにけぶる光景は、ロシア映画のなかの風景のようでもある。
札幌に戻って北大クラーク講堂へ。学会報告はたぶんだれかが書くことだろう。