日本近代文学会の秋季大会が北海道大学で開かれるのに合わせて、北海道入りした。土曜日の12時には会場にいないといけないというので、前日のフライト。寒いかと思っていたら、予想以上の暖かさ。周囲は見渡すかぎり紅葉、黄葉している木々なのにコートも要らない。ジャケットも暑いぐらい。千歳空港からレンタカーを借りて、そのまままず小樽へ。今回の旅の目的は学会もさることながら、小笠原克さんの墓参にあった。1999年暮れ、小笠原さんが亡くなったとき、葬式にかけつけることができなかった。以来、12年、訪札の機会は何度かあったが、墓参りができなかった。余裕のなさもあるが、何を報告できるか、迷いが深かった。あっという間に12年が過ぎて、久しぶりに学会があるという。かつて30年近く前、北大で学会が開かれたとき、亀井秀雄、小笠原克といった北海道の両雄ならびたって火花散る場面があった。その厳しさに唸ったひとりである。くわえて学会の北海道・東北支部大会には何度か参加させていただき、小笠原節による北海道文学案内にも多くの教えを受けた。以来、北海道といえば小笠原克。しかし、その小笠原さんがアイヌ先住民問題で厳しく糾弾され、たじろぐ場面を直接間接の文章で読みながら、民族と階級の入り交じる複雑な現実に身をもって苦しむさまを遠目で眺めながら、いかんともしがたい思いで見守るばかりであった。
SN3J0119お墓は札幌郊外に分骨してあるとうかがい、まずは小樽。小笠原克の愛した小樽に赴き、伊藤整「海の捨児」詩碑のある塩谷へ。30年前、ここに案内され、小笠原さんの語る小樽と塩谷の隔たり、岬から見える塩谷の海に心うたれた。生家のあった伍助沢を抜け、塩谷駅そばを通る。ここは若き伊藤整が通学した場所。この列車のなかで出逢いがあり、恋が生まれた。小樽に戻って、小樽商科大へ。伊藤整が通い、小林多喜二と会ったのがここへ向かう地獄坂。図書館内の学史資料室を拝見。つづいて旭展望台のある小林多喜二文学碑へ。ここも30年前の再訪場所。ほんとに、ほんとに美しい黄葉のなかに多喜二文学碑はある。しかし、伊藤整文学碑のひっそりした感じよりも、文学英雄としての権威化は否めない。1965年の建設とあるが、その時期のせいもあるだろう、当時の小樽市長らの肝いりとはいえ、蔵原惟人ら当時の共産党幹部の名はあるが、中野重治、佐多稲子ら除名された作家たちの名は添えられていない。ここで暮らした多喜二の生活感を重く語ったのが小笠原さんであった。
この日は一緒に旅した東郷克美さんや金井、早稲田の院生たちと運河沿いの飲み屋を徘徊。最後は小樽のゴールデン街とおぼしき路地で、塩谷出身だというサラリーマンと同席。ホッケの食べ方の教示を受けた。そういえば鮭のうまい季節となっていた。