父が亡くなってそろそろ一年がたとうとしています。母が亡くなってからも3ヶ月。日本式の葬儀として火葬して骨を拾い、熱海の我が家に並んでいましたが、そろそろ夫婦そろって旅立つときであろうと、弟一家とも相談の上、19日に分骨して、一部を熱海湾に散骨。一部を富士霊園にむかしから購入してあった墓地に埋葬することとしました。最初からすべて墓地に埋葬というのが一般的な考え方かもしれませんが、墓というのも家制度や家族についての考え方のあらわれでもあります。父はとりわけ紅野家との確執を抱えていたひとです。代々の墓は西宮のお寺にありましたが、戦後、東京に出てきてから60年以上、ほとんどお参りすることなく、背をむけて管理料のみ払うという態度を貫きました。そして40年前にはなぜか富士霊園の一画に墓地を購入し、そこに新たに紅野家の墓をもうけていました。ところが、誰も入っていない墓ですし、墓石はあるものの、その後はまったくの無関心で、一度として訪ねた痕跡もありません。はてさてここに埋葬するべきなのかどうか。勢いで新たな墓を建てたものの、途中でどうでもよくなったに違いなく(そういうところがありました)、ましてや身近に訪ねていけないお墓では手入れもいきとどかず、みっともないことにもなりかねない。子供のわれわれが自分たちが死ぬときは熱海湾で散骨にすると言ったとき、生前の父は「おれもそうしてほしいな」と言ったことがあり、散骨がいいか墓地埋葬がいいか、迷うところだったのです。弟のところには子供たちが2人います。富士霊園の墓をほんとうに墓所としていくのならば、この子たちに関わることにもなる。そこでいろいろ相談した末、分骨にして散骨と納骨をあわせて行うというかたちにしたのです。

IMG_3302 19日朝9時に熱海湾の遊覧船乗り場に集合。台風の影響も心配されましたが、幸いに快晴の天気となり、弟の一家とわれわれの友人数人、それも散骨という形式に興味関心があり、いずれは自分たちもと考えているものたちが集まって、1隻の遊覧船をチャーターし、1時間ほどのセレモニーとなりました。湾内を出て初島まで向かう途中に、散骨の場所が特定されています。ここで船尾より水溶性の紙袋に入れた両親のお骨を海に捧げました。あわせて我が家の亡くなった猫たち、初代のハッピーと二代目のQ太郎のお骨も(これまで大事に保管していたのですが)、助さん格さんのようにお供するよう言い含めて、海に捧げました。用意してあった花びらとお酒、お水をまき、みんなでお別れを告げた次第です。波間にただよう花びらが陽光にきらめく光景はなかなかに荘厳で、いいお式となりました。

帰港したのち、みんなで早い昼食をすませ、友人たちは我が家で留守番。弟一家とはそのまま車で富士霊園に向かい、分骨したお骨を、われわれも初めて見る紅野家の墓に納めてきました。富士霊園が開園したほぼ最初期に契約したらしく、周囲の墓石の多くが御影石のうつくしいお墓であるのに、我が家のものは当時の人造石の墓。この石をどうするか。また周囲をどうするかも合わせて課題となりましたが、そうした宿題含みの墓所も、先祖代々の家から決別して新たな家を構えようとしていた、まだいまのぼくよりも若いときの父の決意のあらわれだったのでしょう。その決意も後年はずいぶんぐずぐずになっていましたが、夫婦そろって富士山を眺める霊園におさまり、海と山とに帰っていったと思うようにしたい。それがわれわれの判断でした。

東京へ帰る弟一家とここでわかれ、ぼくらはふたたび熱海へ。熱海と初島のあいだはちょうど我が家の居間から真正面に見えるところにあたります。すでにワインや日本酒を飲んでできあがった友人たちを交え、宴会が盛り上がったことは言うまでもありません。この日は熱海の花火大会のある晩でもありました。台風のあおりでしょうか、空気が澄んで花火はふだん以上にあざやかに映りました。