地震の直前、3月8日に谷沢永一さんが亡くなられた。3日後に地震があったので、追悼記事を書く余裕がなかったが、1ヶ月たって少し落ち着いてきたので(とはいえ昨夜の余震はかなりのものでしたが)、書いておこうと思う。谷沢さんの文章を読んだ最初は、栗坪良樹さんたちの『評言と構想』誌上にのった「署名のある紙礫」からである。このとき谷沢さんは越智治雄さん、十川信介さん、平岡敏夫さん、三好行雄さんらの論文を徹底批判。その舌鋒のするどさと、相手の文章の一節をたくみに引用し、その引用の妙で論文のレトリックやロジックの弱点をついた。批判が1つの芸になることを体現してみせた稀有な書き手だった。やがて、この「紙つぶて」はさまざまな領域の書き手にも攻撃対象を広げ、文庫にまでなった。以後、谷沢さんの著書『近代日本文学史の構想』や『大正期の文芸評論』『明治期の文芸評論』を読むようになった。谷沢さんの面白いのは、彼が対象としたのがいわゆる「文学」だけでなく、柳田国男を論じて、『時代ト農政』を分析したことに見られるように、文学を文化=政治的な事象のなかでとらえていたところである。彼はマルクス主義哲学者の藤本進治に思想背景を持ち、自分をとりあげてくれた小田切秀雄に感謝の念を抱き続けた。しかし、「紙つぶて」以降、谷沢さんはまったくマルクス主義とは敵対し、保守的言論人としてのスタンスをとったが、文学を文化=政治的にとらえる視座は変わりなかったと思う。とりわけ、その言説分析、文学共同体への認識はぼくのなかで文学研究の1つの指標となった。その後、何度か、個人としてお目にかかり、話もした。そのときに気づいたことは、谷沢さんは関係のなかの権力に敏感だったということ。彼が左翼言論人を嫌ったことのひとつに、大文字の政治権力に敏感な彼らが人間関係の政治や権力に鈍感だったことがあったと思う。文壇や文学研究者のアカデミックな共同体のなかにも、さまざまな権力が働く。権力を除去することは不可能であるが、それについて意識的であること。谷沢さんがデリケートに反応したのはそれだ。素顔の谷沢さんはたいへんやさしい人であった。谷沢永一さんのブレイクとフェミニズムなどの思想的進展は無関係ではない。いま、あらためてそう思う。