山内さんの追悼で麻布のことを少し書いたので、思い出話。麻布学園は古くは、戦後文学の研究者となる佐藤勝さんが国語の先生だったことで有名。佐藤さんは最近、『麻布の教育』という本も出している。その佐藤さんが抜けられたあとに、国語科の先生になっていったのが栗坪良樹さん。この栗坪さんとともに日高昭二さん、小野寺凡さんが加わり、近代文学研究では一世を風靡した研究同人雑誌『評言と構想』の同人7人のうちの3人が麻布にいたのである。その後、栗坪さんらが去ったあと、小野寺さんの後任で入ったのがぼくだった。

勤め始めたときの国語科の教員をあげてみると、漢文は寺澤孝誠先生。この人は綽名が「寺漢」。当時、麻布には定年退職制度がなかった(驚くべし!)ので、寺澤先生は80歳近かった。しかし、その凛とした態度と朗々たる素読の力で、高三の漢文は寺漢でなければならなかった。漢文はほかに菅野正則さんがいた。菅野さんは昨年、『三国志の虚実』という本を出している。そして古文では木村準さん、忠鉢仁さん、安東守仁さん、広瀬武久さんの4人。いかにも育ちのいい木村さんはずっとスーツにネクタイで、超然としていた。いたずら好きな栗坪さんが木村さんを一回だけストリップに連れていったのだそうだが、なぜかその生涯に一回のストリップ小屋で、麻布の生徒に出会い、以後、謹厳実直をうたわれた木村さんにはその話題がつきまとった(かわいそうに!)。忠鉢さんは軍記物語研究、安東さん、広瀬さんはともに藤平春男門下の和歌文学研究者でもあった。

現代文だと、岸田正吉さん、根岸隆尾さん、山内修さん、本田哲夫さん、小仲信孝さん、小檜山耕二さんの6人がいた。岸田さんはのちに日体大の教養の先生になった。根岸さんは武田泰淳などについて書いていて、生徒のファンも多かった。のちに麻布の校長も務められた。山内さん、本田さんはともに東大紛争のさなかに麻布に来たとのことだった。小仲さんはいわずとしれた島崎藤村研究者で、いまは跡見女子大の先生。都立大出の小檜山さんは飄々とした持ち味で人気があった。こういう顔ぶれでもあり、また過去にいた面々が残した空気もあり、中学高校の職場としては緊張もするし、刺激も強い環境であった。となりの数学科には、いま『at』という思想雑誌を出しているキリスト者の秋山眞兄さんがいた。社会科では、現在の校長である氷上信廣さんが倫理の先生をしていた。南原繁の孫にあたり、ニーチェ学者の氷上英廣さんを父にもつ氷上さんは、研究への関心をこれっぽっちも見せないのに、思索の何たるかを身を以て示しているような哲学者だった。いまでも尊敬する人のひとりだ。そして世界史の加藤史朗さんが氷上さんとよくコンビを組んでいた。加藤さんはのちに愛知県立大に勤め、最近でも『ロシアの歴史家 V.O.クリュチェフスキー』という本の翻訳を出して、活躍している。また思想の科学研究会のメンバーで、長谷川如是閑研究でも知られる山領健二さんが、内ゲバで襲撃され、大けがをしたこともある元運動家の玉井裕さん(先年亡くなった)とともに、社会科の重鎮として、存在感を放っていた。

ほかにもたくさんその時期に出会った人がいるのだが、長くなりすぎるのでこの辺にしておこう。しかし、あのとき出会ったみなさんは寺澤先生を除けば、いまのぼくより若かったのだと思うと、言葉を失う。ぼくが属したのはほんのわずかの期間だったけれど、学校という場にいるかぎり、あのときの彼らならばどう言うだろうかと考えることがしばしばある。