寺田さんが亡くなって3ヶ月。古井由吉さんや島田雅彦さんらが呼びかけ人となって、偲ぶ会が如水会館で開かれました。河出書房新社の『文藝』から始まって『作品』『海燕』と、「寺田文芸誌」(古井さんの言葉)ならではの個性的な雑誌をつくってきたのが寺田さん。井伏鱒二から埴谷、大岡らの戦後派、内向の世代、吉本ばなな、島田雅彦まで、世代や立場を超えた作家たちを励まし、育てたのも寺田さんでした。ぼく自身は晩年、野間宏の会でご一緒し、『戦後占領期短編小説コレクション』(藤原書店)の編集作業で何度か議論する場面がありましたが、悠揚迫らざる口調でいろいろな作家のエピソードを語ってくれた横顔が忘れられません。会場には寺田さんが編集長だった時代の文芸雑誌が並べられていましたが、『作品』『海燕』ともに国吉康雄の絵を表紙に使っていたんですね。30年以上前になりますが、国吉の大回顧展が開かれ、NY時代の〝I`m Tired.〟などの女性たちの絵に強く惹かれたことも思い出したりしました。おそらくThe文壇と呼ぶべき最後の編集者ではなかったかと思いますが、文壇が出版ビジネスというだけでなく、『作品』が経済的に立ち行かなくなり休刊になったとき、吉本隆明の連載していた「文芸時評」の原稿を当初の約束どおり受け取り、謄写版で印刷して出していたことなどから見ても、信義と敬愛によって結びついた文学者同士の濃密な人間関係でもあったことを体現していたのではないでしょうか。ご冥福をお祈りいたします。