ずいぶんお休みしてしまいました。そのすべての理由がこれというわけではないのだけれども、昨年暮れにこの本を読み始めてから、あれこれ思いがさまよい、読み終わるまでなかなかブログの更新にはずみがつきませんでした。
もう半年近く前に出た三田村雅子さんの「記憶の中の源氏物語」(新潮社)です。この本をどのように受けとめるべきなのか。評価しようとか批判しようというような意味ではありません。この重量感のある、それでいて決して読みにくさなどを感じさせない本をどう理解するべきか。昨年の源氏千年紀の狂想曲にあきれたひとは少なくないでしょう。中古文学の名だたる研究者もそのなかにいました。三田村さんも決して圏外ではなかった。そのなかにいて、それを支えているようにも見えた。しかし、この今回の本は「源氏物語1000th Anniversary」と歌い上げられながら、「源氏」千年を批判してもいるのです。この両刀遣いこそ、宮廷女房たちのなせる業だとして、それにどのように対するべきなのか。関東武士の無骨な批判も無益です。しかし、こうした両刀遣いが抵抗なのだというのもどこかウソがあります。この絶妙な二重性に対して、どのような言葉を発するべきかとまどっているというのが真相です。つまらなければ相手にする必要はない。しかし、みごとに読ませてくれる。冒頭から引き込まれ、研究者の文体がこのようにみごとに読ませることに、嫉妬も覚えるし、首もかしげたくなる。
おそらく、ここにひとつの達成があることは確かです。しかし、その先に何があるかを注視したくなる。そういうきわどさをもつ本だということです。そのような著作を実現した三田村さんに遅ればせながら敬意を表明したいと思います。
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