朝から大阪へ移動。
去年の「堀田善衞 上海日記」の関係で、関西学院大の大橋毅彦さんら武田泰淳「上海の蛍」の注釈をつけた研究グループから招聘を受けて研究会に参加。会場は岸辺にある大阪学院大学。新大阪から三駅といういいアクセスの場所に、たいへん統一されたモダンなデザインのキャンパスがあり、びっくりしました。ここはメンバーのひとりである竹松さんの本務校。研究会の部屋がまたすごいレセプションルーム(という名でした)で、ふかふかの椅子に贅沢なラウンドテーブル。阪大院生の松本陽子さんの発表につづいて、堀田に関わる報告をしました。上海にくわしいみなさんの前で話をするので、今回は上海の話はなし。むしろ、堀田が上海に行く前、そのきっかけをも作った国際文化振興会について調べたこと、考えたことをお話ししました。現在のジャパン・ファンデーション、国際交流基金の前身で、最初期は外務省と文科省の所管になる外郭団体でした。慶應大をくりあげ卒業になった堀田は、ここに就職し、伊集院清三のもとで吉田健一や山本健吉と出会う。吉田の縁で同人雑誌「批評」のメンバーになり、河上徹太郎とも知り合いになります。その後、いったん辞めて、海軍軍令部の調査部に移り、やがて召集。しかし、病気のため除隊。そしてなぜかふたたび国際文化振興会の上海資料室に飛ぶべく、東京大空襲後の日本を脱出することになるのです。果たして、この一連の動きに何か意味があるのか。また、国際文化振興会とはどのような組織で、何をしていたのか。芝崎厚士さんの「近代日本と国際文化交流 国際文化振興会の創設と展開」(有信堂高文社、1999)というすぐれた研究書をもとに、あらためて考察を加えてみました。海軍とのつながりが堀田の場合はミソのように思えます。