成瀬巳喜男についてのシンポジウムというか、エクステンション講演会がありました。
中山さんは成瀬の反メロドラマ性をその撮影手法ふくめて分析。ぼくは成瀬映画の階段の描き方について報告。途中、パソコンの機嫌が悪くなって往生しましたが、何とかぶじ終了。吉田さんら工学院の主催者と聞きに来てくださった関礼子さんや中村秀之さんたちと会食。そこでまたひとしきり映画談義に花が咲きました。メロドラマとはいったい何なのかがそこでの話題。これぞメロドラマという映画はなかなか決めきれない。「君の名は」はそうだけれど、あれがスタンダードかというと、かなり例外的だったのではないか。メロドラマから少しずらしたところにあるものも含めてメロドラマというジャンルを形成するとすれば、成瀬映画はやはりメロドラマということになる。メロドラマという言葉の定義から検証してみないとわからない。それにしても成瀬を集中的に見返すことができたのは幸運でした。ぼくが好きなのは意外に「稲妻」。「乱れる」もいいのですが、主人公である高峰秀子の三益愛子の義母や草笛光子、白川由美の義姉妹などが類型的すぎて、やはり高峰と加山雄三のところだけがいい。それに比べると、四人とも父親の違う子を産んだ浦辺粂子、色と欲に目のない村田千栄子の長姉、愚痴ばかり出る三浦光子の次姉、そして家族に絶望しているはとバスの車掌さんの末妹高峰秀子のアンサンブルがいいし、最後の高峰と浦辺の母子がさんざん本音の批判をして、大泣きに泣いた後、けろっと仲直りするラストも、その論理性のないずるずるさ加減がかえって親子のリアリティを感じさせるものでした。