カナイさんの主催する早稲田の教育国文による「記憶をかたることば」の集まりに出かける。この日は、西川正啓監督の「ゆんたんざ 読谷村」短縮版の上映と、実際に読谷村で地域ガイドをしている比嘉涼子さんが来るのだという。前にブログに書いたけれど、読谷ではこの比嘉さんにいつもお世話になっている。歴史遺産である座喜味城址や、チビチリガマ、シムクガマといった集団自決の運命をわけたふたつの洞窟、そして基地のどまんなかに村役場を設置するという奇抜な策で米軍に接収されていた土地をとりかえし、危険な軍事訓練をやめさせた村全体の闘いについて、なまなましく聞いたことがあった。
沖縄のガイドというと、またかという顔をするインテリがよくいる。たしかに最初から平和を売り物にするガイドのことばは常識的で、こちらが恥ずかしくなるようなヒューマニズムの押しつけになることがある。けれども、ではガイドは不要なのか。毎年、多くの学校が修学旅行で沖縄にやってくる。その沖縄で、むりやり連れてこられた中学生高校生を前に、何を語るべきなのか。観光による経済効果を当てにするしかない沖縄で、ツーリズムを否定してどのような自立がありうるのか。そこに身をおいているひとたち自身が何を思い、何を探っているのかを見ないと、したり顔のヒューマニズム批判はけっきょくインテリの自己顕示で終わる。そういう危うさがあると思う。
比嘉さんはもともとバスガイドだった。そこから読谷村に生活を移して、地域ガイドに転じた。ガイドは当事者そのものではない。つねに代理人、通訳者である。しかし、当事者はみずからの経験をそんなに簡単に言葉にはしない。チビチリガマの集団自決で生き残ったひとびとが口をひらくまでに、どれほどの時間と葛藤が必要だったか。その時間を、たまたま沖縄に立ち寄った旅行者が共有することはできない。だから代理人がいる。代理人はいつも不安定である。みずからの経験ではないにもかかわらず、経験者の重い言葉をひとびとに伝える役割。それはつねに本来の目的にはとどかない。ボールはいつも遠くはずれてしまうだろう。しかし、投げ続けるものがいるから、そこに言葉にならないものを抱えた人たちの存在が浮かんでくる。考えてみれば、ものを書いたり教えたりする職業、そして何よりも教師はいつもこうしたガイドや代理人の側面をになっているのではないか、ちょっとまじめにそんなことを考えたのでした。