源氏物語を初めとする中古文学研究者として知られた三谷邦明さんが亡くなった。66歳。横浜市大を辞めたばかりで、ガンを患っていたようだが、だいぶ快方に向かっていると聞いた直後、肺炎で亡くなられた。桐ヶ谷斎場で告別式があり、本来なら学生との合宿で軽井沢にいたはずだけど、台風のせいで中止。おかげで、というのも何だが、三谷さんとお別れをすることができた。
三谷さんは、ぼくが上石神井の早稲田大学高等学院の高校生だったころ、学院の国語の先生だった。1学年600人もいる大所帯の高校だったせいか、在校中は一度も教わることがなかった。大学で教育実習を受け、母校に行ったら、そのときも三谷さんはまだ高校教師だった。実習担当の先生はやはりちがったけれど、授業参観させてくださいとお願いしたら、こころよく受けてくれた。教壇の三谷さんはエネルギッシュでタフな印象だった。口跡は必ずしもなめらかではない。かすかに吃音があるのではないかと思わせるような口ごもり方をして、それにあらがうように一気にしゃべる。話し始めるときの気合いが小気味よかった。大学院に入って、「文芸と批評」という同人雑誌にかかわり、毎号、合評会にあらわれ、きびしい批判を投げるのが常だった。批判を投げ合うのがこの場の流儀。だいたい書くものすべて、そんなことはぼくが20年前に書いたと言われた。世代差もあってくいちがいはしょっちゅうだし、三谷さんら草創期の同人への気遣いもあって、そろそろ組織替えが求められる時期でもあった。結局、数年して、ぼくも中高の専任教員になったころ、べつに同人雑誌をおこすようになった。それからお会いする回数は減ったが、物語研究会の会合に招いてもらったり、日本文学協会などの学会行事でしばしばお目にかかった。病気をしてだいぶ歳をとられはしたが、あいかわらずの三谷スタイルを貫いてみごとだった。
専門がちがうので、学者としての三谷さんについては多く語る資格はないが、おもしろい話がひとつある。たぶん学院の先生だったころだろう、やはり、ぼくみたいな実習生が授業を見学した。三谷さんはソシュールの言語学からロラン・バルトの記号論などを高校生に説いて、シニフィエ、シニフィアンと板書し、意味するもの、意味されるものと説明した。実習生があとで三谷さんに、意味するものがシニフィアンで、意味されるものがシニフィエではないですかと聞くと、こうはっきり答えた。「そうだったかな。でも、どっちでもいいんだ。区別するということが大事なんだ」
ほんとの話かどうかかは知らない。でも、三谷さんというひとをよくあらわしていた。不正確かもしれない。しかし、たしかに大事なことは「区別する」ということなのだ。そしてその話にみられるような、ほほえましい愛嬌のあるひとだった。三谷さん、どうもありがとうございました。さよなら、いつかまた会いましょう。