スガ秀実さんが「早稲田文学」の最新号の評論「吉本隆明と黒田寛一」で、ぼくのことを「文化左翼」と言っているんだそうな。「早稲田文学」のその記事も斜め読みしただけだったので気づかなかったのだけれど、よく見たら注記のなかで最近、日本共産党の50年問題のときの所感派を評価する「文化左翼」として佐藤泉、丸川哲史さんとぼくの名前が列記されている。ふーん、いかにも口の悪いスガさんらしい。
しかし「文化左翼」って何なんだろう? 前後を読むと「一部の文化左翼」である前記3人の「日共所感派文化運動へのシンパシー」は、「小ブルジョワ」研究者の「エキゾティックな貧困への憧憬」を出ないと書いてある(ちょっとこれだけじゃ分からないけど、詳細は281ページに出てます)。名前をあげていただくのはありがたいけど、ぼくが「日共所感派文化運動へのシンパシー」を書いたことあったっけ?『人民文学』については話もし、書いたりもしたけど、「シンパシー」を注いだ? せめてどこでそんなことを言ったのかぐらいは書いてほしい。だいたい注をたくさんつけて、いかにも学問的・論文的のように見せかけながら、文献名もあげないというのはいかにもアンフェア。注というのは少なくとも読者がべつの文献や情報を確認するインデックスの役割があるんですよ。名指された自分にだって分からないんだから、他のひとにも分かるわけがない。それをしないで、曖昧だけど、ね、分かるでしょと言わんばかりに書くところに、結局、限られた読者の閉じたサークルだけでやっていて、内側しか向いていないところがあらわれているのではないでしょうか。
ま、文化左翼とかプチブルとか言われても、全然痛くない。むかしはそういう左翼用語で切られると屈辱感にまみれたんでしょうか。ぼくなんか、猫をかわいがって猫の名前にハッピーなんてつけて写真かざっているんだからのんきなもんです。「貧困」にエキゾティックな憧憬を注いでも、すぐに底が割れそうです。ぜひ、そういうスガさんにはほんとうの「左翼」を目指して、孤高の道を突き進んでもらいたいものです。