明仁さん、美智子さんのご夫婦が水俣を訪ねて、緒方さんたちに会われたという。異例の返礼のことばが紹介されていたが、「真実に生きることができる社会をみんなで作っていきたい」というこのことばの響き自体は確かにそのとおりだと思う。でも、水俣病の発生から半世紀以上である。ぼくも大学生のときに、土本典昭さんの「不知火海」の上映運動を手伝っていたことを思い出す。胎児性患者さんたちはほぼぼくの年代と同じ年齢である。こうした天皇のことば以外、これまで政治家は響く言葉を発することはなかった。このあいだの水俣条約のときだって、環境相は直前になって出席を決める始末だし、歴代総理だって水俣に来て、患者に響くことばを発することはほとんどなかった。天皇はぼくらが選んだ人ではない。そのことの惨めさをぼくらは胸に刻むべきだと思う。同時にこのことばで終わりにするわけにもいかない。首相は水俣病を克服したとビデオで語り、患者たちの反発をかったという。克服したという過去形で語れるものはまだない。そもそも全地域住民の医学的なチェックをしないで、これまで来たのである。そして未認定のままの人々がいる。「真実に生きることができる社会をみんなで作っていきたい」。願望を込めたこのことばのまともさと、まったく現実においてそうなっていない空疎さには、ぼくらの生きる社会の複雑な核心が凝縮されている。