IMG_0698高田知波さんの大著が翰林書房から出た。表紙を見て、一瞬、家族社会学とか文化人類学かなと迷うくらい、大きく「姓」と「性」の文字が白抜き、シャドウをつけて浮かび上がっている。ジェンダー論を取り入れた近代文学研究が多くなり、「形骸化」の危険を感じた高田さんがその再活性化を目指して「名前とジェンダー」に取り組んだというのが序章で説明される動機である。「姓」は近代以降は名字と同じ意味になり、家父長制社会を支える重要な指標として機能した。その「姓への幽閉/姓からの疎外」を近代初期の文学から戦後、現代文学にいたるまで、さまざまな症例を一気にとらえようとしている。登場人物がフルネームで出てくるものもあれば、姓だけ、名だけというケースもある。その使用例に明らかなジェンダーバイアスがある。樋口一葉、木村曙から大西巨人、川上弘美まで自在にとりあげられる人はそんなにいない。その意味では高田さんならではの本で、ずいぶん勉強になった。もちろん、モハメッド・アリの例をあげながら「呼ばれたい名前で呼ばれる権利」を求める論理の根底には、アイデンティティをめぐる政治的思考がある。一方、長谷川海太郎=林不忘=谷譲次のようなケースや、生まれた姓=性からの脱出を目指すトランスセクシュアルな人たちのケースもあり、「トランス」ネーミングをどう考えるかもいまの課題だと思う。あとがきによれば、本書は高田さんにとって「最後の著書」になるかもしれないという。そんな気弱なことを言わずに、ぜひぜひいまどきの課題にも取り組んでいただきたい。